『真の豊かさとは何か——猛暑の夏、苗箱の一枚一枚に感謝を込めて洗うひととき』
2026/08/02
今年の夏は、例年を超える厳しい暑さが続いています。
本来であれば近くの澄んだ川へ出かけ、流れる水で苗箱を洗うのが我が家の夏の風物詩でした。しかし、今年はあまりの炎天下。無理をせず体に配慮しながら、倉庫の軒先に遮光ネットを大きく広げ、心地よい日陰の作業場をつくりました。すぐそばにはエアコンのある部屋を控えさせ、安全に配慮しながらの作業です。
冷たい水に手を浸し、黙々と作業を進めていると、不思議と体だけでなく心までスーッと涼やかに澄み渡っていくのを感じます。
無事に田植えを終えた今、役割を果たしてくれた苗箱を一枚、また一枚と丁寧に洗っていきます。その手仕事の中で、ふと今年の発芽から今日までの道のりが頭を駆け巡ります。
掌(てのひら)に収まるほど小さな一粒の種籾。それが命を宿し、力強い緑の苗へと育つまで、この苗箱は優しく、そして確かに命を支え続けてくれました。
毎年あたり前のように使っている小さな道具たち。ですが、この一枚一枚がなければ、美味しいお米は決して生まれません。
「今年も健やかな苗を抱いてくれて、本当にありがとう」
そんな静かな感謝を込めながら、こびりついた土や汚れをひとすじずつ落としていきます。
道具をいつくしみ、大切に扱うこと。それは、私たちが向き合っている「自然そのもの」を慈しむことと深く繋がっています。
世の中には、使い捨ての便利さや効率だけを追い求める風潮もあります。けれど、何年も何年も手をかけ、大切に使い続けられてきた道具には、単なる時間だけでは育むことのできない「品格と価値」が宿ります。
便利さやスピードといった数値だけでは測りきれない、心を込めて手入れをする時間。これこそが、現代における「本当の豊かさ」なのではないでしょうか。
「来年もまた、命あふれる元気な苗を育ててくださいね」
感謝の想いを重ねながら、清らかな水で苗箱を洗い流す、夏の優雅で穏やかなひととき。
無肥料・無農薬の自然栽培とは、単にお米という産物を育てるだけのものではありません。自然の恵みに気づき、道具に感謝し、自らの「感謝の心」をも深く育んでいく——これこそが、私たちが目指す農業の本質だと、改めて実感しています。
本来であれば近くの澄んだ川へ出かけ、流れる水で苗箱を洗うのが我が家の夏の風物詩でした。しかし、今年はあまりの炎天下。無理をせず体に配慮しながら、倉庫の軒先に遮光ネットを大きく広げ、心地よい日陰の作業場をつくりました。すぐそばにはエアコンのある部屋を控えさせ、安全に配慮しながらの作業です。
冷たい水に手を浸し、黙々と作業を進めていると、不思議と体だけでなく心までスーッと涼やかに澄み渡っていくのを感じます。
無事に田植えを終えた今、役割を果たしてくれた苗箱を一枚、また一枚と丁寧に洗っていきます。その手仕事の中で、ふと今年の発芽から今日までの道のりが頭を駆け巡ります。
掌(てのひら)に収まるほど小さな一粒の種籾。それが命を宿し、力強い緑の苗へと育つまで、この苗箱は優しく、そして確かに命を支え続けてくれました。
毎年あたり前のように使っている小さな道具たち。ですが、この一枚一枚がなければ、美味しいお米は決して生まれません。
「今年も健やかな苗を抱いてくれて、本当にありがとう」
そんな静かな感謝を込めながら、こびりついた土や汚れをひとすじずつ落としていきます。
道具をいつくしみ、大切に扱うこと。それは、私たちが向き合っている「自然そのもの」を慈しむことと深く繋がっています。
世の中には、使い捨ての便利さや効率だけを追い求める風潮もあります。けれど、何年も何年も手をかけ、大切に使い続けられてきた道具には、単なる時間だけでは育むことのできない「品格と価値」が宿ります。
便利さやスピードといった数値だけでは測りきれない、心を込めて手入れをする時間。これこそが、現代における「本当の豊かさ」なのではないでしょうか。
「来年もまた、命あふれる元気な苗を育ててくださいね」
感謝の想いを重ねながら、清らかな水で苗箱を洗い流す、夏の優雅で穏やかなひととき。
無肥料・無農薬の自然栽培とは、単にお米という産物を育てるだけのものではありません。自然の恵みに気づき、道具に感謝し、自らの「感謝の心」をも深く育んでいく——これこそが、私たちが目指す農業の本質だと、改めて実感しています。
この投稿をした生産者
佐賀県 佐賀市