自然栽培専門店「自然栽培園北村」の投稿一覧

田植えから約5週間が経ちました。

今年は例年以上の猛暑が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。 人にとっては体に堪える厳しい暑さですが、青々と広がる我が家の田んぼに目を向けると、稲たちがその強い太陽の日差しを全身で受け止め、エネルギーへと変えている姿が伺えます。

無肥料・無農薬で育てる「自然栽培」の稲は、与えられた環境を力強く生き抜く本能を持っています。 一株一株がしっかりと大地に根を張り、葉は息をのむほど美しい緑色に輝き、溢れんばかりの生命力で満ち溢れています。

自然の生きものたちが紡ぐ、調和の循環

今年は草の成長も落ち着いており、水田ではジャンボタニシたちが草をきれいに食べてくれました。 化学物質に頼らない田んぼには、生きものたちが本来持つ生態系の循環がしっかりと息づいています。

人間が無理にコントロールするのではなく、自然界の命がお互いの役割を果たしながら環境を整えてくれる——。 そんな自然の調和と優しさに、日々感謝の気持ちがこみ上げます。

根をさらに深く伸ばす「干し付け」のひととき

さて、現在の田んぼは、水を止めて自然に土を乾かす「干し付け(ほしつけ)」という大切な時期を迎えています。

土にひびが入り、表面が白く乾くまでしっかりと水分を抜いていきます。 「せっかくの水田なのに、なぜ乾燥させるのですか?」と不思議に思われる方もいらっしゃいますが、実はこの工程こそが、美味しいお米を作るための大きな鍵となります。

土を思いきり乾かすことで、土中に新しい酸素がぐっと入り込みます。 水に頼れない環境を作ることで、稲は「自ら水を求めて」根を土の深層へ、深く深く、力強く伸び伸ばしていくのです。

また、秋の収穫時には土がキュッと締まり、コンバインでの作業をスムーズにしてくれる役割も果たします。

40年磨き続けた、「待つ」という贅沢

自然栽培は、肥料や農薬の力で無理に成長を促す農業ではありません。

だからこそ、私たちは毎日田んぼに立ち、稲の声にそっと耳を傾けながら、その時々に必要な環境を整えてあげることしかできません。

40年間、自然と真摯に向き合い続けてきて確信しているのは、「本物の美味しさは、自然の生命力を信じ、静かに待つ時間から生まれる」ということです。

過剰なものを足さず、ただ自然の営みに寄り添い、慈しみながら育てた一粒。 その一粒一粒に宿る豊かな生命力を、今年も大切に、丁寧に育んでまいります。

澄み渡る空の下、青々と輝く田んぼを眺めながら、実りの秋に最高のお米をお届けできる日を、心から楽しみに待ちたいと思います。
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今年の夏は、例年を超える厳しい暑さが続いています。

本来であれば近くの澄んだ川へ出かけ、流れる水で苗箱を洗うのが我が家の夏の風物詩でした。しかし、今年はあまりの炎天下。無理をせず体に配慮しながら、倉庫の軒先に遮光ネットを大きく広げ、心地よい日陰の作業場をつくりました。すぐそばにはエアコンのある部屋を控えさせ、安全に配慮しながらの作業です。

冷たい水に手を浸し、黙々と作業を進めていると、不思議と体だけでなく心までスーッと涼やかに澄み渡っていくのを感じます。

無事に田植えを終えた今、役割を果たしてくれた苗箱を一枚、また一枚と丁寧に洗っていきます。その手仕事の中で、ふと今年の発芽から今日までの道のりが頭を駆け巡ります。

掌(てのひら)に収まるほど小さな一粒の種籾。それが命を宿し、力強い緑の苗へと育つまで、この苗箱は優しく、そして確かに命を支え続けてくれました。

毎年あたり前のように使っている小さな道具たち。ですが、この一枚一枚がなければ、美味しいお米は決して生まれません。

「今年も健やかな苗を抱いてくれて、本当にありがとう」

そんな静かな感謝を込めながら、こびりついた土や汚れをひとすじずつ落としていきます。

道具をいつくしみ、大切に扱うこと。それは、私たちが向き合っている「自然そのもの」を慈しむことと深く繋がっています。

世の中には、使い捨ての便利さや効率だけを追い求める風潮もあります。けれど、何年も何年も手をかけ、大切に使い続けられてきた道具には、単なる時間だけでは育むことのできない「品格と価値」が宿ります。

便利さやスピードといった数値だけでは測りきれない、心を込めて手入れをする時間。これこそが、現代における「本当の豊かさ」なのではないでしょうか。

「来年もまた、命あふれる元気な苗を育ててくださいね」

感謝の想いを重ねながら、清らかな水で苗箱を洗い流す、夏の優雅で穏やかなひととき。

無肥料・無農薬の自然栽培とは、単にお米という産物を育てるだけのものではありません。自然の恵みに気づき、道具に感謝し、自らの「感謝の心」をも深く育んでいく——これこそが、私たちが目指す農業の本質だと、改めて実感しています。
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皆様、こんにちは。

今日も太陽の光が降り注ぐ中、畑へ足を運ぶ時間が、私にとって何より贅沢で心安らぐひとときです。

我が家の畑では、今年も無肥料・無農薬の自然栽培で育てるキュウリたちが、みずみずしく青々とした葉を大きく広げています。

昨年は10本だった苗も、今年は縁あって2か所の畑に計15本を植え付けました。

なかでも、この春にグリンピースが元気に育ってくれた畑は、土本来の命の巡りが素晴らしい状態だったのでしょう。キュウリたちは目を見張るほどの勢いでぐんぐんと背を伸ばし、すでに1メートルを超えるまでに成長しています。

猛暑の中で育む、一株一株への深い愛情

今年の夏は、体に堪えるような記録的な猛暑が続いております。 強い日差しの中で葉を痛めてしまわないよう、毎朝2回、夕方に2回、状態を見守りながら丁寧に水やりを重ねています。

自然栽培の世界には、化学農薬も化学肥料も存在しません。 効率や生産性だけを追い求めるなら、決して楽な道ではないかもしれません。

時折やってくるウリハムシが葉や可憐な黄色い花をかじってしまうこともありますが、一つひとつ、一匹ずつ手作業で優しく取り除いていきます。

ですが、こうして毎日手をかけ、声をかけ、その小さな変化を見つめていると、まるで我が子を育てるかのような愛おしさが込み上げてきます。

「今日はどんな表情を見せてくれるだろう」

そんな想いから、気づけば一日に何度も畑へ足を運ぶのが、私の豊かな日課となりました。

言葉を持たないからこそ、静かに応えてくれる生命力

植物は言葉を話しません。 しかし、注いだ愛情と真摯な想いは、確実に彼らに届いています。

たくましく伸ばす茎、深く澄んだ緑の葉、そして力強く実る一本のキュウリ。 その美しい姿こそが、自然が静かに返してくれる応えなのだと感じます。

本物の食が生み出す、豊かな笑顔のために

いよいよ、これから本格的な収穫の季節を迎えます。

余計なものを一切加えず、大地の恵みと澄んだ空気、そして太陽の光だけで育った自然栽培のキュウリ。一口かじれば、素材本来の上質な香りとみずみずしい甘みが口いっぱいに広がります。

この本来の美味しさを、本物の価値をご存じの方々に召し上がっていただき、心からの笑顔になっていただけたなら、育てる者としてこれ以上の喜びはありません。

本物の食とは、手間を惜しまない豊かな時間と、自然への深い敬意、そして育てる人の真心が織りなすアートのようなもの。

私はそう信じています。

今日も自然が与えてくれる命の巡りに深く感謝しながら、一株一株へ真心を込めて。 最高の美味しさをお届けできるよう、大切に育んでまいります。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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夕暮れ時、やわらかな風が汗ばんだ頬をそっと撫でていきます。

鳥のさえずりと、吹き抜ける風の音だけが響く夕方5時の田んぼ。昼間の強烈な日差し(時には38度を超す猛暑です!)が少しずつ穏やかな茜色へと変わり、一日の終わりを優しく告げてくれます。

私の田んぼの周りでは、減反政策の影響もあり、隣の区画では大豆がスクスクと育っています。

大切に育てる稲のために、田んぼからの水漏れを防ぐ「アゼナミ」を設置しているのですが、このアゼナミのすぐそばだけは草刈り機を使うことができません。

だからこそ、私は手に鎌を持ち、一本一本、心を込めて手作業で草を刈り取っていきます。

効率の先にある、贅沢な「マインドフルネス」

一見すると、ただの地道な農作業かもしれません。

効率だけを求めれば、現代の農業においては決して簡単な道ではない「自然栽培」。肥料や化学農薬に頼らず、ただひたすらに自然の生命力を信じ、必要な手間を一つひとつ丁寧に積み重ねていきます。

けれど、私にとってこの時間は、自然と深く対話し、自分自身の心を美しく整える何よりの贅沢(マインドフルネス)でもあります。

カチカチと時計の針に追われる日常から離れ、五感を研ぎ澄ます。

鎌を動かす手に集中し、ふと目を上げれば、一日一日と逞しく成長していく稲の姿。

その力強い命の輝きを目にするだけで、不思議と胸の奥から静かな安心感が広がっていくのです。

気づけば時刻は夜の7時前。

昼間の喧騒が嘘のように静まりかえった夕暮れの田んぼには、大人の知性を満たす、深みのある静寂が広がっています。

手をかけた分だけ、応えてくれる命がある

時間をかけるからこそ、見えてくる美しさがあります。

手をかけるからこそ、わずかな田んぼの変化や稲の「声」に気づくことができます。

「今日も元気に育ってくれて、ありがとう」

愛おしい稲たちにそっと感謝を伝えながら、今年も無事に実りの秋を迎えられることを静かに願う夕暮れ時。

本物を選び、丁寧に生きるということ。

自然の恵みと人の手が生み出す一粒のお米には、そんな豊かなストーリーが詰まっています。

今日も自然の循環のなかで生かされていることに、心からの感謝を込めて。
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7月28日、夕方。

私の住む佐賀市でも、突然、携帯電話から大きな警戒音が鳴り響きました。

反射的に家の外へ飛ぶように出た、その直後――。 横から大地を揺さぶる大きな力が襲ってきました。

まるで、自分が立っている地球そのものが横へと動いているような感覚。立っていることすら難しく、自然の凄まじい力を前に、人間がいかに小さな存在かを突きつけられた瞬間でした。

ようやく揺れが収まり、家の中へ戻ると、大切に育てているメダカの水槽から大量の水がこぼれていました。

再び鳴り響く警戒音。 テレビを点けると、画面には熊本県を震源とする「最大震度7」の文字が躍っていました。

崩落した熊本城の石垣。 寸断された高速道路。 イオンモール熊本周辺の、一変してしまった街の姿。

つい先ほどまで続いていた穏やかな日常が、ほんの一瞬で奪われてしまう。その現実を前に、ただ言葉を失うばかりでした。

どれほど便利な暮らしをしていても、どれほど多くの財産を築いていたとしても。 溢れるほどのモノや富を持っていたとしても、自然が本気で見せる圧倒的な力の前では、人間の力などあまりにも無力です。

だからこそ、いま私の心に強く浮かんできたのは、「今日という一日が、どれほど尊く贅沢なものか」ということでした。

家族とひとつの食卓を囲めること

温かい布団で、安心して眠れること

朝、目を覚まして静かに田んぼへ向かえること

何気ない日常を、変わらず過ごせること

これらは決して「当たり前」ではなく、何物にも代えがたい「奇跡」なのだと気づかされます。

自然を支配するのではなく、「生かされている」ということ

私は40年間、農薬や肥料に頼らない「自然栽培」で米を育ててきました。

毎日土に触れ、風を感じ、雨を受け止め、太陽の光を全身に浴びながら、ずっと自然と対話をしてきました。

自然は私たちに、計り知れないほどの恵みを与えてくれます。 しかし同時に、ときとして人間の想像を遥かに超える、厳しく大きな表情を見せることもあります。

今回の地震を通して、改めて腹の底から感じました。

私たちは自然を支配しているのではない。自然の中で、生かされているのだと。

豊かな食卓も、安心できる暮らしも、すべては自然という大きな循環の恩恵の上に成り立っています。

だからこそ、自然への謙虚な感謝を忘れないこと。 今日という日を慈しみ、丁寧に生きること。 命を育む「食べるもの」を大切にすること。

目に見える豊かさ以上に、そうした一瞬一瞬の営みを慈しむことこそが、私たちが本当に大切にすべきことなのだと思います。

大きな揺れが去ったあと、静かな夕暮れが訪れました。

茜色に染まる空を見上げながら、私はただ静かに胸の中で呟きました。

「今日も、生きている。」

この当たり前のような一言の中に、人生で最高の贅沢と感謝が詰まっているのだと感じています。

被災された皆さまのご無事と、一日も早い復旧を、心よりお祈り申し上げます。
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