やめる技術は、やめるまでやらないと身につかない
2026/02/06
お世話になります、島根県邑南町(おおなんちょう)の寺本果樹園の寺本直人です🧑🌾いつもありがとうございます!
最近仕事始めを1時間早めて、休憩時間を1時間無くして、計2時間仕事の時間を増やしました。しっかり働くとしっかり眠れることに気づきました😂
さて、今日は「やめる技術は、やめるまでやらないと身につかない」というお話をさせて下さい。
【お知らせ】
2025年産寺本果樹園のイチゴ、ご予約受付中です🍓
実は、寺本果樹園のイチオシはイチゴなんです!厳しい寒さと腰まで積もる豪雪を乗り越えたイチゴは、おいしさと香りがギュッと詰まって格別な味です✨
邑南町のお店や畑で、またオンラインでもお買い求めいただけます!
【徹底的にやった結果、『やめる技術』が身についた】
前回の記事で「やめることもまた技術のうち」と書きました。
無駄なこだわりや作業を削ぎ落とす「引き算」が大事だと。
ですが、逆説的なお話になりますが、『やめる技術を身につけるためには、「徹底的にやる」しかない』と、これまでの経験で学びました。
僕はこれが、痛いほど身に染みた経験があります💦
野菜農家という職人を目指して20年間積み上げた結果、野菜農家も職人もやめた話です。
【野菜と共に生きた20年間】
何度もお話ししましたが、僕は元々「野菜農家」でした。
8歳の頃には両親の手伝いを始め、中学で本格的に家業のバイトを開始し、高校・大学で専門的に野菜について学び、20歳でプロの野菜農家になりました。
そして25歳まで続けました。
つまり、人生の約20年間、僕は野菜と共に生きてきたんです。
「栽培の職人」として、トマトやブロッコリー、キャベツやネギなどと向き合い続けてきました。
でも、僕はそれをやめました。
(※正確には「お休み」です!完全にやめたとは思ってません!全然諦めてない!)
なぜ、20年も続けた野菜を、職人の道を、やめようと思ったのか。
理由はシンプルで、かつ残酷でした。
「現代において、僕のやり方(単なる野菜栽培)では、生活できるほど儲けることができない」
という事実が、ハッキリとわかってしまったからです。
【「機能」だけでは勝てない時代】
僕の考えですが、野菜というのは「健康維持に必要な食べ物」、つまり"機能(健康食品)"を提供しているものだと思っています。
現代のような「物が溢れている時代」に、この「機能」だけを販売していても、大産地(北海道や九州県など)には絶対に勝てません❌
大産地は圧倒的な「生産量」「技術」「歴史」「ブランド」を持っています。
大産地なら、市場出荷でも十分に生活できる利益が出せるでしょう。
でも、大産地でもない、島根県の山奥のちっちゃな農家が同じことをしても、市場で生活できるほどの単価はつきません。
でも、当時の僕は若さゆえにこう思っていました。
「そんなことない!! 足りないのは僕の技術だ!! いいものをたくさん作って、市場出荷をガンガンやれば絶対にいける!!」
そう信じて、ガムシャラにやりました。
寝る間も惜しんで、技術を磨き、収量を上げることに命を燃やしました🔥
「僕ならできる」と信じて疑いませんでした。
【絶望的な数字のリアル】
その結果、どうなったか。
島根県で一人前とされるほどの技術(主に生産量)を身につけて、やっと見えてきた数字は『絶望的』でした。
当時の僕の皮算用(兼 実績)を大公開します。(ツッコミどころは許してください!)
・夏秋大玉トマト(10a栽培):収量10t × 単価300円/kg = 300万円
・春ブロッコリー(15a栽培):収量2.4t × 単価600円/kg = 79万円
・秋冬ブロッコリー(30a栽培):収量3.8t × 単価264円/kg = 100万円
(※邑南町は冬は雪で何もできないので、これが当時の限界です)
これらを全部足して、売上は479万円。
実際、野菜農家だった僕の過去最高売上は約500万円でした。
「おっ、500万なら悪くないじゃん?」
と思うかもしれませんが、これはあくまで「売上」です。「収入(手取り)」じゃありません。
ここから肥料代、苗代、資材代、燃料代、機械の減価償却費などを引きます。
仮にめちゃくちゃ上手く経営して、利益率が驚異の「5割」だったとしても、手元に残るのは250万円。
でも現実はそんなに甘くなく、実際の利益率は2〜3割。
実際、僕の手元には約100万円しか残りませんでした。
しかも、これは姉ちゃんがボランティアで手伝ってくれての数字です。
もし姉ちゃんに正当な給料を払っていたら?
赤字です。目も当てられません。
【死ぬ気で働いて、年収100万円】
毎日毎日、朝から晩まで泥だらけになって働いて、休みなんてなくて。
それだけやって、残るのが100万円。
「大規模化すればいいじゃん」という声もあるでしょう。
でも、田舎には人もいないし、まとまった土地もない。
何より怖かったのが、
「こんなに働いて年収100万円の僕が、従業員を雇って幸せにできるのか?」
ということでした。
人を雇っても、その人に十分な給料を払えない。不幸な人を増やすだけになる。
そんなリスクを背負ってまで大規模化する未来が、僕には見えませんでした。
こうやって徹底的にやり込んで、数字と向き合った時、僕は考えました。
「頑張っても頑張っても報われない世界で戦ってるな」
「このままこの世界で戦ってても、そう遠くないうちに(経済的に、あるいはメンタル的に)死ぬな」
【賭け】
ここで僕は究極の選択を迫られました。
A:このまま野菜農家を続ける → 間違いなくジリ貧で死ぬ。
B:全く違うこと(販売・果樹)を始める → 未知の世界で失敗して死ぬかもしれない。
どちらに転んでも「死」のリスクがあります。
でも、Aは「確定した死」に近い。Bは「未知数」だけど、生き残れる可能性がある。
「どうせどっちに転んでも死ぬなら、まだ生存確率が高い方にいこう」
そう思って、僕は野菜をやめて、販売(直売)と果樹(シャインマスカット)の道に進むことを決めました。
既存の戦い方(零細産地×安い野菜)は間違いなく死ぬ。
対して、シャインマスカットなら流行りに乗ってるし、何より「販売」には無限の伸び代があると思ったからです。
【「販売」という伸び代】
ですが、「販売(直販)」という未知の世界に希望がなかったわけではありません。
ちょっとわかりやすくするために、仮の点数をつけてみましょう。
当時の僕のスキルを点数化すると、こんな感じでした。
栽培:80点、販売:1点
栽培の80点を、90点、95点にするのは至難の業です。
しかも、仮に達成しても1.1倍程度にしかなりません。インパクトが小さい。
でも、販売は「1点」です。ほぼゼロです。
これを20点にするだけで、インパクトは20倍。
50点にできれば、50倍です。
全くやったことがない分野だからこそ、少し力をつけるだけで、そのインパクトは凄まじいものになると思いました。
販売への挑戦は伸び代しかない!!
それに、お客さんの反応も違いました。
野菜(機能)よりも、シャインマスカット(嗜好品・感動)の方が、直接買ってくださるお客さんの数が圧倒的に多く、反応も良かったんです。
「果物は甘くて美味しい分、売りやすい」
これが商売人としての僕の直感でした。
【徹底的にやったからこそ見えた「やめ時」】
こうして僕は、20年続けた野菜農家をやめ、職人をやめ、今のスタイルになりました。
逆に言えば、ここまで徹底的にやり込んで、数字を突きつけられて、限界まで足掻かないと、「やめる」という選択肢は見えなかったと思います。
覚悟を決めていなければ、「まだやれるはず」「努力が足りないだけ」「来年は良くなるかも」と、ズルズル続けて共倒れしていたかもしれません。
限界までやったからこそ、「あ、この壁は壊せないんだ。登るか、迂回するしかないんだ」と冷静に判断できたんです。
ただ、時に「やめる」という決断は『理由をつけて諦める』という形に姿を変えることもあります。
積み重ねるという時間も労力もかかる辛いことを、「これは戦略的にやめるんだ!」と理由をつけて逃げてしまえるからです。
その時には、
・「やめなければならない」と言えるほど積み上げたか?
・やめるための判断材料は揃っているか?また判断材料には数字や現実が伴っているか?
・自分が逃げたいだけではないのか?
と言ったことを考えてから「やめる・やめない」の判断をすればいい感じになると思います。
僕もまだ道の途中ですが、あの時のやめる」という決断が正解だったと証明するために、今日も泥臭く前に進みます。
『やめる技術』を身につけるには、やり続けるしかないです。
なので、今日もガムシャラにやり続けます💪
というわけで、「やめる技術は、やめるまでやらないと身につかない」というお話でした!
最近仕事始めを1時間早めて、休憩時間を1時間無くして、計2時間仕事の時間を増やしました。しっかり働くとしっかり眠れることに気づきました😂
さて、今日は「やめる技術は、やめるまでやらないと身につかない」というお話をさせて下さい。
【お知らせ】
2025年産寺本果樹園のイチゴ、ご予約受付中です🍓
実は、寺本果樹園のイチオシはイチゴなんです!厳しい寒さと腰まで積もる豪雪を乗り越えたイチゴは、おいしさと香りがギュッと詰まって格別な味です✨
邑南町のお店や畑で、またオンラインでもお買い求めいただけます!
【徹底的にやった結果、『やめる技術』が身についた】
前回の記事で「やめることもまた技術のうち」と書きました。
無駄なこだわりや作業を削ぎ落とす「引き算」が大事だと。
ですが、逆説的なお話になりますが、『やめる技術を身につけるためには、「徹底的にやる」しかない』と、これまでの経験で学びました。
僕はこれが、痛いほど身に染みた経験があります💦
野菜農家という職人を目指して20年間積み上げた結果、野菜農家も職人もやめた話です。
【野菜と共に生きた20年間】
何度もお話ししましたが、僕は元々「野菜農家」でした。
8歳の頃には両親の手伝いを始め、中学で本格的に家業のバイトを開始し、高校・大学で専門的に野菜について学び、20歳でプロの野菜農家になりました。
そして25歳まで続けました。
つまり、人生の約20年間、僕は野菜と共に生きてきたんです。
「栽培の職人」として、トマトやブロッコリー、キャベツやネギなどと向き合い続けてきました。
でも、僕はそれをやめました。
(※正確には「お休み」です!完全にやめたとは思ってません!全然諦めてない!)
なぜ、20年も続けた野菜を、職人の道を、やめようと思ったのか。
理由はシンプルで、かつ残酷でした。
「現代において、僕のやり方(単なる野菜栽培)では、生活できるほど儲けることができない」
という事実が、ハッキリとわかってしまったからです。
【「機能」だけでは勝てない時代】
僕の考えですが、野菜というのは「健康維持に必要な食べ物」、つまり"機能(健康食品)"を提供しているものだと思っています。
現代のような「物が溢れている時代」に、この「機能」だけを販売していても、大産地(北海道や九州県など)には絶対に勝てません❌
大産地は圧倒的な「生産量」「技術」「歴史」「ブランド」を持っています。
大産地なら、市場出荷でも十分に生活できる利益が出せるでしょう。
でも、大産地でもない、島根県の山奥のちっちゃな農家が同じことをしても、市場で生活できるほどの単価はつきません。
でも、当時の僕は若さゆえにこう思っていました。
「そんなことない!! 足りないのは僕の技術だ!! いいものをたくさん作って、市場出荷をガンガンやれば絶対にいける!!」
そう信じて、ガムシャラにやりました。
寝る間も惜しんで、技術を磨き、収量を上げることに命を燃やしました🔥
「僕ならできる」と信じて疑いませんでした。
【絶望的な数字のリアル】
その結果、どうなったか。
島根県で一人前とされるほどの技術(主に生産量)を身につけて、やっと見えてきた数字は『絶望的』でした。
当時の僕の皮算用(兼 実績)を大公開します。(ツッコミどころは許してください!)
・夏秋大玉トマト(10a栽培):収量10t × 単価300円/kg = 300万円
・春ブロッコリー(15a栽培):収量2.4t × 単価600円/kg = 79万円
・秋冬ブロッコリー(30a栽培):収量3.8t × 単価264円/kg = 100万円
(※邑南町は冬は雪で何もできないので、これが当時の限界です)
これらを全部足して、売上は479万円。
実際、野菜農家だった僕の過去最高売上は約500万円でした。
「おっ、500万なら悪くないじゃん?」
と思うかもしれませんが、これはあくまで「売上」です。「収入(手取り)」じゃありません。
ここから肥料代、苗代、資材代、燃料代、機械の減価償却費などを引きます。
仮にめちゃくちゃ上手く経営して、利益率が驚異の「5割」だったとしても、手元に残るのは250万円。
でも現実はそんなに甘くなく、実際の利益率は2〜3割。
実際、僕の手元には約100万円しか残りませんでした。
しかも、これは姉ちゃんがボランティアで手伝ってくれての数字です。
もし姉ちゃんに正当な給料を払っていたら?
赤字です。目も当てられません。
【死ぬ気で働いて、年収100万円】
毎日毎日、朝から晩まで泥だらけになって働いて、休みなんてなくて。
それだけやって、残るのが100万円。
「大規模化すればいいじゃん」という声もあるでしょう。
でも、田舎には人もいないし、まとまった土地もない。
何より怖かったのが、
「こんなに働いて年収100万円の僕が、従業員を雇って幸せにできるのか?」
ということでした。
人を雇っても、その人に十分な給料を払えない。不幸な人を増やすだけになる。
そんなリスクを背負ってまで大規模化する未来が、僕には見えませんでした。
こうやって徹底的にやり込んで、数字と向き合った時、僕は考えました。
「頑張っても頑張っても報われない世界で戦ってるな」
「このままこの世界で戦ってても、そう遠くないうちに(経済的に、あるいはメンタル的に)死ぬな」
【賭け】
ここで僕は究極の選択を迫られました。
A:このまま野菜農家を続ける → 間違いなくジリ貧で死ぬ。
B:全く違うこと(販売・果樹)を始める → 未知の世界で失敗して死ぬかもしれない。
どちらに転んでも「死」のリスクがあります。
でも、Aは「確定した死」に近い。Bは「未知数」だけど、生き残れる可能性がある。
「どうせどっちに転んでも死ぬなら、まだ生存確率が高い方にいこう」
そう思って、僕は野菜をやめて、販売(直売)と果樹(シャインマスカット)の道に進むことを決めました。
既存の戦い方(零細産地×安い野菜)は間違いなく死ぬ。
対して、シャインマスカットなら流行りに乗ってるし、何より「販売」には無限の伸び代があると思ったからです。
【「販売」という伸び代】
ですが、「販売(直販)」という未知の世界に希望がなかったわけではありません。
ちょっとわかりやすくするために、仮の点数をつけてみましょう。
当時の僕のスキルを点数化すると、こんな感じでした。
栽培:80点、販売:1点
栽培の80点を、90点、95点にするのは至難の業です。
しかも、仮に達成しても1.1倍程度にしかなりません。インパクトが小さい。
でも、販売は「1点」です。ほぼゼロです。
これを20点にするだけで、インパクトは20倍。
50点にできれば、50倍です。
全くやったことがない分野だからこそ、少し力をつけるだけで、そのインパクトは凄まじいものになると思いました。
販売への挑戦は伸び代しかない!!
それに、お客さんの反応も違いました。
野菜(機能)よりも、シャインマスカット(嗜好品・感動)の方が、直接買ってくださるお客さんの数が圧倒的に多く、反応も良かったんです。
「果物は甘くて美味しい分、売りやすい」
これが商売人としての僕の直感でした。
【徹底的にやったからこそ見えた「やめ時」】
こうして僕は、20年続けた野菜農家をやめ、職人をやめ、今のスタイルになりました。
逆に言えば、ここまで徹底的にやり込んで、数字を突きつけられて、限界まで足掻かないと、「やめる」という選択肢は見えなかったと思います。
覚悟を決めていなければ、「まだやれるはず」「努力が足りないだけ」「来年は良くなるかも」と、ズルズル続けて共倒れしていたかもしれません。
限界までやったからこそ、「あ、この壁は壊せないんだ。登るか、迂回するしかないんだ」と冷静に判断できたんです。
ただ、時に「やめる」という決断は『理由をつけて諦める』という形に姿を変えることもあります。
積み重ねるという時間も労力もかかる辛いことを、「これは戦略的にやめるんだ!」と理由をつけて逃げてしまえるからです。
その時には、
・「やめなければならない」と言えるほど積み上げたか?
・やめるための判断材料は揃っているか?また判断材料には数字や現実が伴っているか?
・自分が逃げたいだけではないのか?
と言ったことを考えてから「やめる・やめない」の判断をすればいい感じになると思います。
僕もまだ道の途中ですが、あの時のやめる」という決断が正解だったと証明するために、今日も泥臭く前に進みます。
『やめる技術』を身につけるには、やり続けるしかないです。
なので、今日もガムシャラにやり続けます💪
というわけで、「やめる技術は、やめるまでやらないと身につかない」というお話でした!