叶った夢を諦めた話と、諦めた夢がもう一度叶いそうな話。
2025/10/16
お世話になります、島根県邑南町(おおなんちょう)の寺本果樹園の寺本直人です🧑🌾いつもありがとうございます!
なんでもないはずなのに、「よっこいしょ」と言うことが増えてきました。もう若くないです。
さて、今日は「叶った夢を諦めた話と、諦めた夢がもう一度叶いそうな話。」についてお話しさせてください。
【お知らせ①】
ちょっと本題の前にお知らせさせて下さい。
現在シャインマスカットの収穫の真っ只中!!もちろん販売もしております👍
10月のシャインマスカットは、しっかりと熟してよりおいしくなってますので、ぜひ食べて見て下さい✨
【お知らせ②】
『生産者に聞く島根の魅力。しまねからのごちそう便ー実は果物もすごいんです!島根のフルーツを味わうー』
こちらのトークイベントにゲストとして参加します!!
東京でやりますので首都圏の方々や関東圏の方々、ぜひぜひ遊びにきてください✨めっちゃアツく語る予定です🔥
詳しくは、『タイトルをコピペ→検索で1番上のサイト』をチェックしてみて下さい!!
【寺本直人は果樹農家じゃない】
現在寺本果樹園ではシャインマスカットを栽培しており、ぼちぼち畑の残弾も無くなってきて、10月いっぱいゆっくりやって終わるかなーと言ったところです。
シャインマスカットが終わったらひと段落…と見せかけてイチゴの準備が着々と進んでおります🍓
おそらくイチゴは11月半ばには収穫できそうな感じで、収穫のための段取りや畑と調整場の準備をしとかないといけません。
来週には最低気温が2桁を切るので、そのためのイチゴハウス改造もしないといけません。
シャインマスカット終わってもまだまだやるぞ🍓🍓🍓
という感じで果物栽培をやっておりますが、それは実は姉の話。
『寺本果樹園』の代表は寺本秋穂で、弟の寺本直人は、実はただのバイトです。
寺本直人の屋号は『寺本野菜園』で、本業は野菜農家です。
けど訳あって野菜はほぼほぼやっておらず、姉ちゃんの手伝いをやってます。
【野菜農家になるのはちっちゃい時からの夢だった】
元々僕は野菜農家でした。
どれくらい野菜農家だったかというと、
・大玉トマト 3000株
・ブロッコリー 20000株
・広島菜(漬物用白菜てきなやつ) 3000株
・ホウレンソウ 20000株くらい
をやってました。
ほかにも、キャベツを7000株やったり、白ネギを60000本やったり、サニーレタスやナスをやったこともあります。
野菜農家になる前は、農業高校と農業大学校(島根県は農林大学校)で野菜について座学・実習共に専門的に学んでました。
高校の時には、意見発表大会や検定競技大会という農業について語ったり知識を競う大会に出たりしました。大学の時にも意見発表大会に参加したり、農大の卒論が良い感じだったので島根県の代表になったりしました。(これは自営就農の準備が忙しかったので辞退しました。)
農大ではトマト栽培を手にして、卒論もトマトの研究をしてました。
学生で農業について勉強する前は、農家である両親の手伝いをしてました。
小学3年生の時からトマトの手伝いを始めて、5年生の時には夏休み毎日トマトの収穫や箱詰めのお手伝いして2万円もらい、高校生の時には朝5時からトマトやナスの収穫の手伝いをして学校に行く前まで畑作業をしてました。
小学3年生でお手伝いを始める前は、5歳の時に畑で姉ちゃんと鬼ごっこをしてたのを覚えてます。
夏の日のネギ畑で、雪が降る冬の日のハウスで。ある時は田んぼの畦に座って父がトラクターしてるとこをずっと見てました。
こんな感じで、物心ついた時からずーっと農業一色の人生です。
人によっては、「俺は農家なんか継がないからな!!」という方もおられます。けど僕は、自然と「僕も将来は農家になるんだろうなー」と思って農家になりました。
何か強い初期衝動があったわけではありませんが、自然と農家になる!と思ってました。けどこの想いが薄れたことはなかったです。
そして月日が経って、寺本直人は20歳の時、晴れて野菜農家になりました。
【野菜農家をやめると決めた25歳】
20歳から農家になり、5年ほどは野菜栽培をしていました。
今もしっかり儲かっているとは程遠くなんとか生活できてるといったくらいですが、
野菜栽培をしていたときはもっと悲惨でした。
売り上げは500万円ほどで、肥料やら出荷ダンボールやら経費を引いたら利益は100万残るかどうかでした。
自分1人では生産量が限られる中、野菜の市場単価は悪く、『安いけど大量生産』『少量生産だけど高単価』どちらの戦い方もできず、八方塞がりでした。
そうやって悪戦苦闘してる中、隣で果樹栽培をしている姉は売り上げ800万円ほどで、経費を引いた利益は400万円くらいでした。
仕事してる時間は同じくらいか、野菜の方が多いくらいでした。
果樹は野菜ほど時間かからず、売り上げは倍近くて、経費は半分くらい。
どっからどう考えても姉の果樹栽培の方が優秀でしょ。
「すぐにでも野菜やめて僕も果樹をするべき!!」
合理的に考えれば当たり前ですが、僕は悔しくて悔しくてたまらなくて、「野菜は悪くない。野菜栽培のポテンシャルを引き出せない僕が悪い。負けないぞ!頑張るぞ!」と5年目が終わる時まで頑張ってました。
ですが、頑張っても頑張っても結果は出ず、農業関係者からは「今よりブロッコリーを15000株増やさないとだめだね」といったようなことを言われ、「直人くんもブドウ栽培をしよう」と言われ、「自分だったらもう農業やめるね」とも言われました。
そんなことやあんなことが色々とあって、25歳のとき僕は野菜農家をやめました。
農家になって5年、農家を目指して20年、僕は野菜農家をやめました。
野菜農家をやめて果樹農家になりました。
【「君のためを思って言ってるんだよ」風に諭したり「なんだ直人野菜やめたんだ」みたいな冗談言ってたけど、20年間積み上げてきたものを捨てる痛みをお前ら分かってんのか】
25歳の時にこれまで積み上げてきたもの全部捨てて果樹農家兼姉のお手伝いになりました。
文字にしてたった42文字。たった2行の文章で終わる話です。
ですが、時間にすると実に20年間です。
5歳の時から農業に触れて、小学3年生から農業の手伝いをして、高校と大学で農業を勉強して、晴れて20歳の時になって野菜農家になって。
それを全部捨てて僕は果樹農家になったんです。
葛藤や苦しみが無いわけないじゃん!!
ここまで本気になって野菜栽培に取り組んできてようやく野菜農家になったのに合理的判断だけでスパッとやめられるわけないじゃん!!
なのに「君が今からどうやったらなんとかなるか考えてるんだよ」とかあたかも諭してる風な話で優越感たっぷりの顔で頭上から話してきたり、それでいざ野菜やめて果樹始めたら「直人もう野菜やめたんだ」とか冗談混じりに言ってきたり。
全部うるせー!!
みたいなことが色々とあって、歯軋りしながら諦めるように野菜農家をやめて果樹農家になりました。
今では果樹も楽しいなと思いながら農家やってます。
ですが「野菜農家をやめる」と決心した時、実は考えてたことがありました。
野菜農家を『やめる』のではなく、『休む』ことにしよう。そう考えてました。
「今はまだ時じゃない。野菜栽培ではうまく行かなかったけど、果樹をやって技術や経験、資金や人脈とか実力をつけてからまた野菜栽培をしよう。僕は野菜農家を『やめた』んじゃなくて、野菜農家を『休んで』るんだ。」
そう考えて、20年積み上げてきたものを捨てて果樹農家の道を進みながら、いつか時が来るのを待ちずっと牙を磨くことにしました。
【思ったよりも早く時が来そう。諦めた夢がもう一度叶うかもしれない。】
そんな中、思ったよりもはるかに早く時がきました。
新しい道の駅、「道の駅邑南の里」です。
先日の記事でもお話ししましたが、邑南町では新しい道の駅がオープンし、毎日繁盛しております。
繁盛の反面、「モノがない」という課題も抱えております。
『自分でしっかり価格を決められる「道の駅邑南の里」で、とても繁盛してよくモノが売れる状態で、でもモノが少なくて道の駅も困ってる。』
時はきました。
野菜栽培の生き残る道が見えてきました。
「道の駅邑南の里」めがけて野菜栽培すれば、しっかり売り上げも立ちそうです。しかも、「道の駅邑南の里」もとにかく出荷してほしいとのこと。
まさかこんなに早く野菜農家に戻れそうな時が来るなんて思っていませんでした。
あと10年はかかると思ってました。
もちろん今のブドウやイチゴや大玉トマトやメロンがある中で、すぐに野菜農家に戻れるわけではありません。
両立するために人手を募ったり、どういった野菜を栽培するのか計画もしっかりしないといけません。
ですが、「一度諦めた野菜農家を、もう一度やれるかもしれない」という希望は、今の僕には十分過ぎるほどです。
道のりはまだ遠く、歩みは一歩ずつゆっくりですが、絶対にもう一度夢を叶えます。
絶対やってやるぞ💪🔥✨
というわけで、「叶った夢を諦めた話と、諦めた夢がもう一度叶いそうな話。」というお話でした!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んでいただきありがとうございます!
おもしろかった!という方は、ぜひ「いいね」を👍
コメントいただけますと、すごく嬉しいしめちゃくちゃやる気が出ます💪
フォローもぜひお願いします!
最後まで読んでいただきありがとうございました👩🌾🧑🌾
なんでもないはずなのに、「よっこいしょ」と言うことが増えてきました。もう若くないです。
さて、今日は「叶った夢を諦めた話と、諦めた夢がもう一度叶いそうな話。」についてお話しさせてください。
【お知らせ①】
ちょっと本題の前にお知らせさせて下さい。
現在シャインマスカットの収穫の真っ只中!!もちろん販売もしております👍
10月のシャインマスカットは、しっかりと熟してよりおいしくなってますので、ぜひ食べて見て下さい✨
【お知らせ②】
『生産者に聞く島根の魅力。しまねからのごちそう便ー実は果物もすごいんです!島根のフルーツを味わうー』
こちらのトークイベントにゲストとして参加します!!
東京でやりますので首都圏の方々や関東圏の方々、ぜひぜひ遊びにきてください✨めっちゃアツく語る予定です🔥
詳しくは、『タイトルをコピペ→検索で1番上のサイト』をチェックしてみて下さい!!
【寺本直人は果樹農家じゃない】
現在寺本果樹園ではシャインマスカットを栽培しており、ぼちぼち畑の残弾も無くなってきて、10月いっぱいゆっくりやって終わるかなーと言ったところです。
シャインマスカットが終わったらひと段落…と見せかけてイチゴの準備が着々と進んでおります🍓
おそらくイチゴは11月半ばには収穫できそうな感じで、収穫のための段取りや畑と調整場の準備をしとかないといけません。
来週には最低気温が2桁を切るので、そのためのイチゴハウス改造もしないといけません。
シャインマスカット終わってもまだまだやるぞ🍓🍓🍓
という感じで果物栽培をやっておりますが、それは実は姉の話。
『寺本果樹園』の代表は寺本秋穂で、弟の寺本直人は、実はただのバイトです。
寺本直人の屋号は『寺本野菜園』で、本業は野菜農家です。
けど訳あって野菜はほぼほぼやっておらず、姉ちゃんの手伝いをやってます。
【野菜農家になるのはちっちゃい時からの夢だった】
元々僕は野菜農家でした。
どれくらい野菜農家だったかというと、
・大玉トマト 3000株
・ブロッコリー 20000株
・広島菜(漬物用白菜てきなやつ) 3000株
・ホウレンソウ 20000株くらい
をやってました。
ほかにも、キャベツを7000株やったり、白ネギを60000本やったり、サニーレタスやナスをやったこともあります。
野菜農家になる前は、農業高校と農業大学校(島根県は農林大学校)で野菜について座学・実習共に専門的に学んでました。
高校の時には、意見発表大会や検定競技大会という農業について語ったり知識を競う大会に出たりしました。大学の時にも意見発表大会に参加したり、農大の卒論が良い感じだったので島根県の代表になったりしました。(これは自営就農の準備が忙しかったので辞退しました。)
農大ではトマト栽培を手にして、卒論もトマトの研究をしてました。
学生で農業について勉強する前は、農家である両親の手伝いをしてました。
小学3年生の時からトマトの手伝いを始めて、5年生の時には夏休み毎日トマトの収穫や箱詰めのお手伝いして2万円もらい、高校生の時には朝5時からトマトやナスの収穫の手伝いをして学校に行く前まで畑作業をしてました。
小学3年生でお手伝いを始める前は、5歳の時に畑で姉ちゃんと鬼ごっこをしてたのを覚えてます。
夏の日のネギ畑で、雪が降る冬の日のハウスで。ある時は田んぼの畦に座って父がトラクターしてるとこをずっと見てました。
こんな感じで、物心ついた時からずーっと農業一色の人生です。
人によっては、「俺は農家なんか継がないからな!!」という方もおられます。けど僕は、自然と「僕も将来は農家になるんだろうなー」と思って農家になりました。
何か強い初期衝動があったわけではありませんが、自然と農家になる!と思ってました。けどこの想いが薄れたことはなかったです。
そして月日が経って、寺本直人は20歳の時、晴れて野菜農家になりました。
【野菜農家をやめると決めた25歳】
20歳から農家になり、5年ほどは野菜栽培をしていました。
今もしっかり儲かっているとは程遠くなんとか生活できてるといったくらいですが、
野菜栽培をしていたときはもっと悲惨でした。
売り上げは500万円ほどで、肥料やら出荷ダンボールやら経費を引いたら利益は100万残るかどうかでした。
自分1人では生産量が限られる中、野菜の市場単価は悪く、『安いけど大量生産』『少量生産だけど高単価』どちらの戦い方もできず、八方塞がりでした。
そうやって悪戦苦闘してる中、隣で果樹栽培をしている姉は売り上げ800万円ほどで、経費を引いた利益は400万円くらいでした。
仕事してる時間は同じくらいか、野菜の方が多いくらいでした。
果樹は野菜ほど時間かからず、売り上げは倍近くて、経費は半分くらい。
どっからどう考えても姉の果樹栽培の方が優秀でしょ。
「すぐにでも野菜やめて僕も果樹をするべき!!」
合理的に考えれば当たり前ですが、僕は悔しくて悔しくてたまらなくて、「野菜は悪くない。野菜栽培のポテンシャルを引き出せない僕が悪い。負けないぞ!頑張るぞ!」と5年目が終わる時まで頑張ってました。
ですが、頑張っても頑張っても結果は出ず、農業関係者からは「今よりブロッコリーを15000株増やさないとだめだね」といったようなことを言われ、「直人くんもブドウ栽培をしよう」と言われ、「自分だったらもう農業やめるね」とも言われました。
そんなことやあんなことが色々とあって、25歳のとき僕は野菜農家をやめました。
農家になって5年、農家を目指して20年、僕は野菜農家をやめました。
野菜農家をやめて果樹農家になりました。
【「君のためを思って言ってるんだよ」風に諭したり「なんだ直人野菜やめたんだ」みたいな冗談言ってたけど、20年間積み上げてきたものを捨てる痛みをお前ら分かってんのか】
25歳の時にこれまで積み上げてきたもの全部捨てて果樹農家兼姉のお手伝いになりました。
文字にしてたった42文字。たった2行の文章で終わる話です。
ですが、時間にすると実に20年間です。
5歳の時から農業に触れて、小学3年生から農業の手伝いをして、高校と大学で農業を勉強して、晴れて20歳の時になって野菜農家になって。
それを全部捨てて僕は果樹農家になったんです。
葛藤や苦しみが無いわけないじゃん!!
ここまで本気になって野菜栽培に取り組んできてようやく野菜農家になったのに合理的判断だけでスパッとやめられるわけないじゃん!!
なのに「君が今からどうやったらなんとかなるか考えてるんだよ」とかあたかも諭してる風な話で優越感たっぷりの顔で頭上から話してきたり、それでいざ野菜やめて果樹始めたら「直人もう野菜やめたんだ」とか冗談混じりに言ってきたり。
全部うるせー!!
みたいなことが色々とあって、歯軋りしながら諦めるように野菜農家をやめて果樹農家になりました。
今では果樹も楽しいなと思いながら農家やってます。
ですが「野菜農家をやめる」と決心した時、実は考えてたことがありました。
野菜農家を『やめる』のではなく、『休む』ことにしよう。そう考えてました。
「今はまだ時じゃない。野菜栽培ではうまく行かなかったけど、果樹をやって技術や経験、資金や人脈とか実力をつけてからまた野菜栽培をしよう。僕は野菜農家を『やめた』んじゃなくて、野菜農家を『休んで』るんだ。」
そう考えて、20年積み上げてきたものを捨てて果樹農家の道を進みながら、いつか時が来るのを待ちずっと牙を磨くことにしました。
【思ったよりも早く時が来そう。諦めた夢がもう一度叶うかもしれない。】
そんな中、思ったよりもはるかに早く時がきました。
新しい道の駅、「道の駅邑南の里」です。
先日の記事でもお話ししましたが、邑南町では新しい道の駅がオープンし、毎日繁盛しております。
繁盛の反面、「モノがない」という課題も抱えております。
『自分でしっかり価格を決められる「道の駅邑南の里」で、とても繁盛してよくモノが売れる状態で、でもモノが少なくて道の駅も困ってる。』
時はきました。
野菜栽培の生き残る道が見えてきました。
「道の駅邑南の里」めがけて野菜栽培すれば、しっかり売り上げも立ちそうです。しかも、「道の駅邑南の里」もとにかく出荷してほしいとのこと。
まさかこんなに早く野菜農家に戻れそうな時が来るなんて思っていませんでした。
あと10年はかかると思ってました。
もちろん今のブドウやイチゴや大玉トマトやメロンがある中で、すぐに野菜農家に戻れるわけではありません。
両立するために人手を募ったり、どういった野菜を栽培するのか計画もしっかりしないといけません。
ですが、「一度諦めた野菜農家を、もう一度やれるかもしれない」という希望は、今の僕には十分過ぎるほどです。
道のりはまだ遠く、歩みは一歩ずつゆっくりですが、絶対にもう一度夢を叶えます。
絶対やってやるぞ💪🔥✨
というわけで、「叶った夢を諦めた話と、諦めた夢がもう一度叶いそうな話。」というお話でした!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んでいただきありがとうございます!
おもしろかった!という方は、ぜひ「いいね」を👍
コメントいただけますと、すごく嬉しいしめちゃくちゃやる気が出ます💪
フォローもぜひお願いします!
最後まで読んでいただきありがとうございました👩🌾🧑🌾
この投稿をした生産者
気になる投稿
この生産者の商品
自治体連携商品
【日時指定可】朝採れ新鮮!酸味少なく香り高い『かおり野イチゴ』【12/8〜お届け予定】(200g×2パック)【予約販売】【イチゴ】
約400g
他
4.8
¥2,100
島根県邑智郡邑南町中野小原迫900
寺本果樹園
自治体連携商品
【日時指定可】雪国育ちの『寒熟』いちご!寒さで甘み凝縮「かおり野イチゴ」【12/8〜お届け予定】(250g×4パック)【冬ギフト】【福袋】【イチゴ】
約800g
他
4.8
¥3,900
島根県邑智郡邑南町中野小原迫900
寺本果樹園