就農した経緯ー100年続く畑を守る
もともとりんご農家でしたが、子供の頃は農薬がきらいで継ぐつもりはありませんでした。
子供の頃から陸上競技のマラソンに打ち込み、将来は教員になりスポーツの指導者になることを目標に、教員免許を取得し、競技実績を積むため三重県の実業団へ進みました。
大学、実業団と寮生活を送る中で、秋になると実家からりんごが送られてきました。チームメートや寮の関係者にお裾分けをしてたら、みんなに美味しいと喜んでもらえました。りんごが送られてくると、お裾分け目当てで部屋に行列ができるほど。
これまで、りんご作りには感情がまったく湧いたことはありませんでしたが、次第に故郷のりんご、そしてそれを作る祖父母に誇りを持つようになりました。
26歳の夏、栽培の中心だった祖父が体調を崩し、栽培の継続が困難になったと連絡がありました。その時はまだ三重県の実業団に在籍し、もう少し競技を続けたい意志がありました。将来は教員でスポーツの指導者となり子供たちを育てたいという夢がありましたが、故郷の畑を守ることを選択しました。教員でなくても、食でスポーツ選手を目指す子供たちを支えていけるような生産者へと、前向きな気持ちでした。
当時、私はインターネットを始めた時で、ネットで情報を収集することができました。調べると、消費者も農薬に敏感になり減農薬にシフトする生産者が増えていると感じたことを覚えています。
陸上部を退部し、在籍していた会社を退社するとき、当時の監督やコーチ、トレーナーは、農業をやるなら農薬に頼らないもの作りをとのお言葉を頂きました。
私の農薬嫌い、消費者の傾向、そして周りからの助言等もあり、農薬に頼らない栽培法を選択しました。
26歳の秋に帰郷、アスリート時代の情熱をりんご栽培に注ぐことを決意し、営農がスタートしました。