田んぼに向かう原動力とは?
2025/09/18
『10年後、私たちの食べる食べ物を誰が作ってくれているのだろう...?』
これは、20歳で東京の大学に進学し、初めて街で暮らして抱いた、小さな危機感。
街の消費社会を体感しながら、里山に帰省した時に、
棚田150枚ほどを.5.6人の70歳くらいのおじちゃん達が向き合ってくれていた。
この景色が、私の心をざわつかせていた。
私は食べ物を作って、社会の力になりたい!
と思い、現場に立ってはや15年。
今年の北陸は、酷暑と少雨のあとの、
晴れが続かない秋を迎えています。
稲刈りは、晴れた日しかできません。
チャンスは前髪だけと、意識をピンと張り、
稲刈り、その後のトラクター仕事を、
限りあるタイミングで進めていく。
同時に、来年以降もこうなったらと、
3年後、5年後、10年後のリスクを想定し、
もっと工夫できることはないかと、描きながら。
天候に左右されて、
やっぱり大変な仕事なんだなと思われるかもしれない。
このまま稲刈りのチャンスがこなかったらどうしようと、心配だって過ぎります。
それでも気候激動の時代に、
私たちが、田んぼに向き合う原動力とは?
『大変だから』と、辞めるのは、そう難しくはありません。
でも、じゃあ、
『10年後、愛する子ども達が食べる食べ物を、誰が作ってくれているのだろう…?』
ニュースに目をやると、
空から配給を落とされて、奪い合う子どもたちが映る。
かたや、
この国には、すぐそばに、
主食となるお米が、たわわに実っている。
食べ物が作れる国土があるという豊かさ。
自ら育てられるという安心感。
私は今、農業を通して、
大変さや、不安定さを伝えたいのではありません。
それでも、向き合う価値があると思うので、
私のペースではありますが、発信をしています。
この国には、世界に誇るべき豊かさと安心があり、
そして希望や夢があると可能性を感じています。
これこそが、私たちが田んぼに向き合う原動力(*^^*)
これは、20歳で東京の大学に進学し、初めて街で暮らして抱いた、小さな危機感。
街の消費社会を体感しながら、里山に帰省した時に、
棚田150枚ほどを.5.6人の70歳くらいのおじちゃん達が向き合ってくれていた。
この景色が、私の心をざわつかせていた。
私は食べ物を作って、社会の力になりたい!
と思い、現場に立ってはや15年。
今年の北陸は、酷暑と少雨のあとの、
晴れが続かない秋を迎えています。
稲刈りは、晴れた日しかできません。
チャンスは前髪だけと、意識をピンと張り、
稲刈り、その後のトラクター仕事を、
限りあるタイミングで進めていく。
同時に、来年以降もこうなったらと、
3年後、5年後、10年後のリスクを想定し、
もっと工夫できることはないかと、描きながら。
天候に左右されて、
やっぱり大変な仕事なんだなと思われるかもしれない。
このまま稲刈りのチャンスがこなかったらどうしようと、心配だって過ぎります。
それでも気候激動の時代に、
私たちが、田んぼに向き合う原動力とは?
『大変だから』と、辞めるのは、そう難しくはありません。
でも、じゃあ、
『10年後、愛する子ども達が食べる食べ物を、誰が作ってくれているのだろう…?』
ニュースに目をやると、
空から配給を落とされて、奪い合う子どもたちが映る。
かたや、
この国には、すぐそばに、
主食となるお米が、たわわに実っている。
食べ物が作れる国土があるという豊かさ。
自ら育てられるという安心感。
私は今、農業を通して、
大変さや、不安定さを伝えたいのではありません。
それでも、向き合う価値があると思うので、
私のペースではありますが、発信をしています。
この国には、世界に誇るべき豊かさと安心があり、
そして希望や夢があると可能性を感じています。
これこそが、私たちが田んぼに向き合う原動力(*^^*)