有田市認定みかん農家 紀州伊藤園

和歌山県 有田市

有田市認定みかん農家 紀州伊藤園

創業:1638年01月
食べチョク登録:2020年08月

【ご挨拶】
 紀州有田の伊藤園をご訪問いただきありがとうございます。
和歌山県有田市のみかん農家「伊藤 登美子」です。大正15年生まれの97歳です。

 江戸時代初期の初代伊藤 長右衛門(寛永14年 1638年)から数えると農家の歴史は400年続いております。

English & Spanish Available

▼Introduction of our farm
I'm Tomiko Ito who is 95years old ,thirteen-generation farm owner.
Our farm was established in Edo era 1638, 400 years ago.
Of course I'm an active farmer and have 72years carrier.
We promise we would send you traditional and delicious Mikan (Japanese sweet orange) for you.!

経歴・沿革

【0歳 大正15年(1926)】
除虫菊の会社に勤める父、畑の世話をする母のもと二男三女の末っ子として生まれる。
みかん畑・米畑を手伝いながら、幼少期を過ごす

【13歳 昭和14(1940)】
第二次世界大戦勃発
有田高等女学校二年生の時に挺身隊として、軍需工場に動員される。学業もままならず。
有田市には東燃という飛行機の燃料をつくる施設があり(現在のエネオス)、
米軍からもっぱら狙われ空襲が起きていた。家族と畑を掘った防空壕に逃げた。
学校は出征兵士の見送り、千人針やら授業中に回ってきて授業どころではなく、修学旅行もなかった。

【17歳 昭和18年(1943)】
太平洋戦争勃発
家では麦や米の世話が大変で、みかん畑の世話をする母を手伝っていた。
食べ物を買うのは肉か魚ぐらいだったので、麦や野菜は自給自足ですごしていた為
ひもじい生活はなく、農業が生きる糧となった。

【20歳 昭和20年(1945年)】
太平洋戦争・第二次世界大戦終戦
当時はみんな同じような境遇で、テレビもなかったから、
ひとや人生を恨むという気持ちはなかった。生きるのに必死だった。

【21歳 昭和21年(1946)】
シベリア出兵から帰ってきた、みかん農家の太郎に嫁ぐ。
軍人だった太郎は町で唯一トラクターに乗ることが出来た人物で、
道路を広げたり、運送をしたり町内のみかん畑の近代化に大きな力を発揮した。

【23歳 昭和24年】
一男二女にめぐまれ、子育てをしながら
みかん畑の仕事に必死だった。

【34歳~ 昭和35年】
みかんが木箱で売られているのが主流だったが、
軽くて丈夫な段ボールの起用へと変わっていった。
梱包の負担が減り、有田市の柑橘物流の転換期を迎える

【60歳】
温州みかんに加えて雑柑(冬以外の柑橘)に規模を拡大する

【80歳】
有田市の認定みかんに合格する。

【93歳】
食べチョクに登録し、初めて個配を行う。
ごちそうさま投稿では今まで聞いた事がない絶賛の声に驚く
投稿を読むのが毎日の楽しみ。

【95歳】
初めての他業種とコラボ
ケーキ屋さん(和歌山県)、ジェラート屋さん(埼玉県)、シフォンケーキ屋さん(群馬県)にみかんが採用される。
食べるジャパン(審査委員長:服部幸應氏)にてみかんが認定される

【96歳】
今も現役農家として挑戦の毎日を送る

メディア実績

2022年12月 NHK和歌山【ギュギュっと和歌山】
2023年12月 ありだ市報
2023年12月21日 日経新聞

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